おじさんの日々是精進

心機一転、新しいことにチャレンジしようと思い、易の勉強、テニス技術の向上、登山などについて気儘に記しています。

ジョジョと易

私、年甲斐もなく、JOJOが大好きでして。

その中でも第3部の「スタークルセイダーズ」と第5部の「黄金の風」が大好きでして。

毎週、東京MXの金曜日夜25時5分のアニメをちゃっかり予約して見ています。

 

好きな理由は

・人間が本来大切にすべき、そして、失ってはならないものが何かを考えさせられる

からなんです。

 

つい一昨日も、スピンアウト小説の「恥知らずのパープルヘイズ」をkindleで買って、1日で読んでしまいました。

その中の一節で大好きな言葉がありました。

 

「自分にとっての勇気がなんなのか知ることーそれを一生かかって探っていくのが全ての人に科せられた宿命なんだ。それは扉のようなもので、自分で開けない限り、決して道とは気づけない」

 

考えさせられました。

 

一般の人は、易を占いとして利用し、「あー運が悪い…」「運が良かった!」と反応することで、あたかも人には運命や宿命という自分が進むべき道があらかじめ誰かによって備えられているかのように考えます。

 

でも、易に関して言えば、陽には陰が、陰には陽が、各々が各々を必要としているように、必ず物事には表裏一体の意味を有しています。易はあくまで占的(占う目的)に対する事象の大局的な流れを知ることで、自分自身の、あるいは占断の対象者の勇気を再認識してもらう一つの方法論やきっかけでしかないのだと思います。

 

例え、良い卦が出たとしても、悪い卦が出たとしても、その占的に対し進むべきか、進まざるべきか、扉を開くのは、あくまで私たち一人ひとりの判断と覚悟に委ねられているのです。

 

そして、扉を何度も開き、時には喜び、時には嘆き悲しむことが積み重なり、結果的に振り返ると人生という運命になっているものなのだと思います。

 

その意味では、宿命というのはJOJOの言う通り、「自分にとっての勇気を知ること」だけなのかもしれません。